生き物が奏でる音楽

その他芸術

昔はなんだか敷居の高い本のような気がして、手に取らなかった覚えがありましたが、思いの他

レイチェルの文章は詩的で砂の中から、ウニのトゲや巻貝のかけらがみつかるかもしれないといった、その様子が想像できるようで、美しく面白いのがわかりました。

 あなたが都会でくらしているとしても、公園やゴルフ場などで、あの不思議な鳥のわたりをみて、季節の移ろいを感じることもできるのです。

 さらに、台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた一粒の種さえも芽をだし成長していく植物の神秘について、子どもといっしょにじっくり考える機会をあたえてくれるでしょう。(作者の文より)

子供のころは田舎育ちだったから、川のたにしをとったり、魚釣りにはミミズがいいって、どんな土にいるのかを考えたりいっぱいのメダカのむれを素手でどうやってすくうかを考えていた頃があったような‥。

でも、少し都会の広島で子育てをした頃は自然と過ごした頃とはすこしとおざかり、自分の仕事も優先して、子供とゆっくり自然の神秘に同居しなかった無念さも感じます。

そして、年齢もかさね、心のゆとりも取り戻せた時に、幼少の時一緒に出会った自然が無性におちつくような‥。ましてや未来の自然も危ういとなると心おだやかでもないきがします。

身近な自分のできることって、なにかないかと気にとめながらも‥。

台所に並ぶ小松菜、シソ一つでも種から、また育ててみたい。種子から芽が出て、手をかけながら成長していく様子は子育てと似てて、弟子を教えていくのにも似ているきがする。

手間暇かけ、成長するようすをみると、食品もたくさんの手がかかり、運ばれる様子ももっと近くなるのかもしれない。

服も長持ちして、リフォームなど形をかえたり、パッチワークなどで、使いきることで、自分にも自信がつくのかもしれない。

川のせせらぎにいる鳥はなにを食べ、何処から来て何処に渡っていくのか、調べてみると知らないことが多い、また自然の生物の神秘さ、壮大さにも感動させられる。

海洋生物学者で作家のレイチェル.カーソンが「沈黙の春」で環境問題に警鐘をならして今年で60年、うかうかしてられない問題のように思われる。

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